巳歳・復興へ向けての歩み01

1)3.11から1年を過ぎて

東日本大震災発生より一年を過ぎて、平成24年3月11日は、政府主催の慰霊祭に参列された天皇陛下が再びお言葉を述べられたことを始め、神社本庁主催の慰霊祭が石巻日和山で斎行され、また被災各地で行政による慰霊祭等が行われ、テレビ・新聞等も大きく特集を組み、予想を越えて特別な一日となりました。
金華山では当日午後2時46分の黙祷の後、祈祷殿にて社員参列のもと復興祈願祭が斎行されました。
一年を経て、感じられることは多々ありましたが、現状はまさに少しずつ進んでいる限りで、それでも変化、出来事、進捗の状況はありますので、情報として発信し、この項にて近況をお伝えしてまいりたいと思います。
3月18日には頂上奥の院大海祇神社の例祭が、当末社半壊のため祈祷殿にて遥拝にて斎行されました。参列崇敬者は14名程おりました。
例年この日をもって午前6時半起床となり、4月からは6時起床となります。
朝は次第に明けるのが早まり、今年は春の寒さもあってか梅が遅めに咲き始めました。
ボランティアの方々は土日を中心として京都・大阪・東京から労山様、日本を美しくする会様、また埼玉・仙台からチーム東松山市様、チーム小林様などが入って主に上のダム土砂上げの作業に奮闘されました。


この頃から金華山の通年最大神事となります5月の初巳大祭の準備が始まり、昨年やむを得ず出せなかった御神輿を今年は出すこととなったため、初巳大祭実行委員会を行い、人集めや準備が急務となります。

2)初巳大祭を控えて

4月12日にはインド国よりインド五大聖人の一人とされるシュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師が来山され、祈祷殿にて正式参拝の後、拝殿にて震災に関する慰霊・鎮魂・復興の祈りを捧げました。

4月14日には、今年5月13日に斎行される初巳大祭神輿渡御の最終打ち合わせ会が牡鹿総合支所で行われ、牡鹿半島の各浜が甚大な被災を受けているにも関わらず代表者が集まり快く神輿を出すための方策を検討し合いました。

ゴールデンウィークの5月3日には、「がんばってっちゃ牡鹿」プロジェクト委員会により「牡鹿復興祭」が企画され、金華山龍(蛇)踊りの奉納も要請されましたので、当日午後2時より龍(蛇)踊り奉納を盛大に行う予定もあります。

今年は寒さもあって遅めでしたが、島内の桜はソメイヨシノが見頃を迎え、しだれ桜も咲いてきました。

ゴールデンウィーク、初巳大祭と例年では最も混み合うはずの金華山も、未だ桟橋と参道が未修理のままのため、定期船も発着できず、今年もまた寂しいものと思われます。
時流の宿命ですが、この度の大震災に関しても、被災地内外の温度差はあまりにも激しく、お問い合わせは相変わらず多いのですが、依然として復旧できていない状況をお伝えするのが心苦しくてなりません。

桟橋の復旧工事は、ようやく工事安全祈願祭を終え、いよいよ本格的に着手されることとなりましたが、観光桟橋の三本のうち二本が完成するのが一年、港湾に関してすべての工事が完了するのが二年と伝えられております。
発着所の鮎川港、女川港ともに港湾の整備は進められておりますが、町なみの復旧復興にはどれだけの時を要するか見当がつきません。
加えて、金華山の参道は台風被害の箇所が未だ大きく残り、その修復には億単位の予算が必要なほどの損傷を受けております。
未だ危険な個所の残る参道を通過せざるをえないところにお客様をお呼びしてよいものか、反問の余地はありましたが、とにかく牡鹿地区の復興のためにも、御神意の御心としても、御神輿は出すことに決定致しました。

3)初巳大祭、神輿渡御斎行される

本年は己巳の日御縁日祭ともたまたま重なっていた初巳大祭本祭が、無事終了致しました。
参列者10数名でしたが、八重桜も満開の頃、震災後初めて助勤者の奉仕も手伝って、震災前と変わらぬお祭りをご奉仕することができました。



さらに5月13日、初巳本祭の日より一週間続く初巳大祭期間中の日曜日には初巳大祭神輿渡御が盛大に斎行されました。
ボランティアの方々にご奉仕頂いた鹿山公園の清掃箇所を神輿が練り歩き、参道危険箇所も無事通過し、整地した御旅所にて御旅所祭を執り行い、海潮祓の特殊神事を斎行し、神輿は無事拝殿まで戻りました。




奉仕員総勢120名、500Kgの御神輿を20人で担ぎ、七福神などの行列も加わって桟橋まで約1キロの道を往復します。
祭典当日は晴天に恵まれ、モーターボートで渡って来られた鮎川浜・新山浜・泊浜・小渕浜の各浜の奉仕員の方々も参拝客も無事帰路に着きました。
ちょうど初巳大祭が5月14日に終了する頃、いよいよ金華山桟橋のかさ上げ工事が始まるため、台船によって重機が到着し、着工に取り掛かりました。

4)そしてボランティア活動支援続く

5月15日には、宮城県神道青年協議会と東北六県神道青年協議会が合同で一泊二日、全34名で、一日目は雨の降る中、上のダム土砂撤去作業・松の植樹・祭典後片付けに御協力頂き、二日目は頂上への資材運搬作業に尽力頂きました。
頂上の奥の院大海祇神社は地震で半壊となっており、その資材としてセメント類20㎏を107袋、五合目まで上げることができました。


考えていたよりもはるかに過酷な作業となりましたが、それは即ち復旧復興への道のりの厳しさでもありました。

5月23日には愛知県神道青年会30名が来山され、作業を続けましたが、悪天候のため滞在時間は短くなってしまい、金華山では時間内で出来得る限りの作業となり、下山後、牡鹿半島鮎川浜山鳥にある一の鳥居周辺の清掃もして頂きました。
5月26日、27日には今度で4回目となる東松山市震災ボランティアの会が10名来山され、常夜燈修復のための足場組み、ダムから撤去した土砂でダムまで至る道を修復する作業に従事されました。



震災以降ずっと続いているボランティアの方々の作業支援は誠に有り難く、一人でも職員だけでも到底出来ない作業を、人々の力の集まりで成し遂げられることに感銘を受けることが多くあり、その根本にある「奉仕」の精神に学ぶところが大きくあります。
今後とも、やるべき作業はまだまだ残されておりますので、皆様何卒宜しくお願い申し上げます。

5)上川氏の活躍、龍踊り奉納間近

度々紹介しています福井県からボランティアで長期滞在の板金溶接訓練校指導員の上川晴雄氏により、念願の大常夜燈一対は無事完全に仕上がりを終えました。



7月に上川氏が再来山されると、下のダムの配管つまり修復やダム洗浄を始め銭洗い弁天の青銅製龍の修復など多岐に渡って各所修復を進めてまいることとなりました。



ボランティア支援もチーム東松山市が継続的に入って頂き、金華山山小屋の帝京科学大学の方々などの支援もあり、作業量もまだまだあるため続行中ではありますが、これから夏場から秋にかけて作業が集中しそうな勢いです。

7月最終土曜日日曜日には、金華山の夏まつりとして恒例の龍神まつり龍(蛇)踊り奉納が予定されております。
昨年は震災により神事のみ斎行致しましたが、本年は落ち着きを見せ辰年の機運も高まって、龍(蛇)踊り奉納を金華山においても執り行うこととなりました。
7月28日(土)、7月29日(日)両日とも午前11時と午後1時の二回にわたって奉納が執り行われます。
震災後金華山では二年ぶりとなる龍(蛇)踊り奉納ですが、震災前同様までは行かなくとも鮎川において練習を重ね、当日盛大裡に奉納できれば幸いです。

6)参拝時の注意点、現状

現在(平成24年7月15日)、船の渡航に関する状況にあまり変化はなく、震災以降ずっと定期便が運休しておりますので、不定期のモーターボートをご予約頂いて島に渡る形となっております。土日祝日など、個人の方は、予約が多めのときに乗り合いで来られた方が料金的にも負担が少ないようです。団体様は、神社到着後、マイクロバスがないため神社所有のトラックやダンプの荷台に乗って頂く形をとらざるを得ません。
7月下旬から8月上旬には、神社リースによる10人乗りのワゴン車が送迎用として島に上陸する予定です。
定期便がないため、郵便物・宅急便物等も、時間差で遅れて届く形となっております。
ご不便をおかけしてしまい申し訳ありませんが、時間を要すれば必ず届くこととなっておりますので何卒御了承願います。
とにかく巳歳に向けて、再復旧、修復改善致す所存でありますので、宜しくお願い申し上げます。

7)二年ぶりの龍(蛇)踊り奉納

7月27日、28日には金華山において二年ぶりの龍(蛇)踊り奉納が斎行され、本来の龍踊り場は石垣が崩れたままのため危険であり大広間前にて執り行いました。

当日は快晴で暑さもひとしおの中、龍踊り奉仕会皆様が健闘され、観客の方々も交通の不便な中お集まり頂き、土日の二日間で200名位いらっしゃったと思われます。
今年は辰年であり、龍神様の御縁年でもあるため、何としても金華山で奉納したいという神社と奉仕会の熱意により実現することができました。


この後8月1日には石巻川開き祭りで昨年に引き続き二年目の龍踊り奉納を行いました。
陸上部門でのパレードとして龍体が行進し、本年もまた震災後の活気に溢れる中無事に納めさせて頂きました。
このようにして、お祭りごとに復興は進んでいるものと思いたいところですが、金華山において震災の爪痕は未だ色濃く残ったままとなっています。
それでも、一つのことを成し遂げるためにも実に多くの方々の御協力のおかげをもってなされていることを思い、感謝の心で手を合わせたいと思います.

8)ボランティアの夏、今後のこと

8月はお盆の月ですが、お盆を挟む形で初旬と下旬に山形の最上元気研究所・押切さんが企画頂き風の旅行社様が募集された「地球の歩き方」ボランティアツアーの皆様が3泊4日で来山されました。

作業は道路の修繕から祭典後片付け、郵便物発送作業まで多岐にわたり、皆様遠くから来山されているにも関わらず和気藹藹と賑やかな社頭となりました。


8月下旬には、大東文化大学のローバースカウト部の皆様が6泊7日でボランティア奉仕をされ、後半の日程は前述の「地球の歩き方」様も合同で作業を行い、主に山頂の島内花崗岩石製の護摩壇修復作業を、福井県上川氏の指導のもとに神社元総代三上様の手もお借りして連日山頂まで登るという重労働に堪えて頂きました。

山頂の護摩壇も大海祇神社も震災後全く手つかずの状態であったため、来年の巳歳御縁年大祭は頂上のお宮の祭典日(3月18日)から始まることもあり、そこに手を入れることができたのはそれだけでも収穫でした。


とにかくこのような状況であっても実際に来て頂くことはそれだけで有り難く、山頂の絶景も皆様に体験頂きましたが、震災のことが巷間で忘れられても御支援の心を送って頂くことには感じ入るところ多大です。

そして今後の見通しとしては、台風で崩落した参道が巳歳大祭まで完全復旧することはできそうにもなく、桟橋は1本今年度中に完成する予定ですが、定期便の運航も決まってはおらず、苦しい状況の中、マンパワーで何とかせざるを得ない状況となっています。
それをどうしたら良いものか、考えあぐねておりますが、9月以降年末までには何とか整備を整えて明くる年(巳歳)を迎えたいと思っております。

9)平成24年例大祭までの日々

今年は相変わらず残暑が厳しく、金華山においても水不足となるほど暑い日々が続いておりました。
昨年台風15号の甚大な被害を受けてより早1年、昔から台風被害の多いとされるいわゆる210日、220日も猛暑続きで終え、風の影響で欠航が続いた日はあっても、雨は例大祭直前になってからようやく降りました。

8月末、未完のまま頂上の護摩壇修復作業に一区切りをつけると、9月1日には自ら津波被害を受けた地区でもある石巻市北野神社氏子一同様に、対岸の山鳥一の鳥居の大注連縄を付け替え作業まで奉納して頂き、9月4日には茨城県より水府流吟道の方々が来山し江戸時代仙台藩養賢堂の学頭大槻盤渓が金華山の事を詠んだ漢詩を拝殿にて詩吟奉納していただきました。


9月7日より9月10日には、今回で3回目となる「地球の歩き方」ボランティアツアー皆様方が3泊4日で奉仕活動に尽力され、今回は巳歳に向けた記念品奉製作業を中心として10月の角切り行事に向けた水のマス土砂撤去作業、縁石の補修作業ほかまたしても多岐に亘り御協力いただきました。
(この試みは、VCを支援する会押切様と風の旅行社竹嶋様に実施協力頂いたもので、今後も継続されて行くとのことでした。)



9月10日、11日には日大経済学部の根本先生始め40名の学生方が1泊され、角切り行事に向けた祭場周辺の草刈り・道路整備・清掃に奮闘されました。

9月20日に待望の送迎用12人乗りハイエース車が台船にて神社に到着すると、早速団体送迎用として活用され、9月22日秋分の日には早朝から秋季皇霊祭遥拝式、引き続き秋季霊祭を執り行い、ことわざ通りお彼岸の頃から暑さも静まって来ました。
同じ9月22日には今回で7回目となる東松山市震災ボランティアの会24名が1泊2日で入って頂き例大祭前に必要だった境内の清掃をメインとして、本殿瑞垣内より始めてガラス拭き・玉垣の清掃から裏山の方も手が入り参道まできれいに掃除していただきました。



9月23日、震災後大事な場面で度々お世話になっています助さんが率いて来て下さった神奈川県徳恩寺を中心とした20名の皆様には、参道清掃に加え参道危険個所の整備にご協力頂きました。
これにより参道崩落個所の整備は少しでも形が見えてきて、神社所有の資材の活用の仕方が出来てきました。


9月24日、神職・巫女により御本殿以下の清掃の仕上げをすると、前日より降り出した雨は清掃中はいったん止んだものの一日中降り、9月25日、例大祭当日には曇り空の下、御本殿・石の間にて、無事滞りなく平成24年例大祭を斎行致しました。
参列者は崇敬者86名でした。
一方、桟橋・防波堤は津田海運㈱様により着々と工事が進められています。


これから本格的な秋になると、やがて冬が来て巳歳は間近目前ですが、台風の季節を乗り越えられるかどうかも心配です・・

10)秋の角切り行事、全国神青協ボランティア

台風を二つ、また大雨も幾日か経験し、それでも被災後の参道は大きく崩れることはなく、地盤が固まってきたのか一安心致しました。
10月6日には神鹿慰霊祭を斎行し、同じ6日には日本を美しくする会様42名が一泊で神鹿角切り行事祭を前にして祭場整備他のボランティア作業に努められました。


10月7日には、昨年台風直後の被害状況のため中止となった神鹿角切り行事祭を二年ぶりに執り行いました。


前述の日本を美しくする会様には祭場をきれいに清掃して頂いた後、角切り行事の勢子として何名か御奉仕下され、また観覧のギャラリーとして鹿友華角会(ろくゆうかすみかい)の勢子達が鹿の角切りに奮闘する様子も観戦して頂きました。
角切り行事祭前後には雨天に悩まされましたが、何とか準備を整えることが出来て当日は100名程が来山し、また久しぶりの賑わいを見せました。
勢子の方々も主に石巻渡波地区を出身としておりめいめいに被災しておりましたが、二年ぶりの開催とあって奮い立って慣れた手つきでこなしておられました。
「神鹿角切り行事祭」は震災後境内鹿の減少から、例年は2日間にわたって行われていたところ今年は1日のみの開催となり、鹿の研究者の言によると生態系の関連で今後も1日のみの実地がふさわしく、来年以降も10月第一日曜日のみ執り行われることとなる予定です。

10月8日の恵比須祭には、VCを応援する会の押切様が駆けつけて下さり、東京造形大学益田教授を始め全12名で来泊され、ホームページリニューアルの計画と潔斎場・お風呂場の仮復旧の打ち合わせを行い、恵比須祭の諸準備までお手伝い頂きました。
(これらの計画も進行中であります。)
10月17日には神嘗奉祝祭を斎行し、10月24日には、震災後4回目となる寒川神社宮司利根康教様・寒川神社職工奉仕会御一行様が正式参拝されました。


同じ10月24日には、かねてから綿密に打ち合わせを重ねてきた全国神道青年協議会様延べ37名が2泊3日で頂上大海祇神社の資材運搬作業に従事されました。

今年5月に東北6県・宮城県神青協の方々が5合目まで上げられたセメント107袋に加えて、補強用の木材10束程・頂上護摩壇用のセメント4袋(各25kg)・砂15袋を境内初めから上げることとなり、かなりの重労働となりましたが、皆様歯をくいしばって尽力され、作業一日目に8合目看板まで、そして人数が減りながらも二日目についに頂上まですべての基礎資材を上げることに成功しました。




大野清徳会長自らを始め全国各地から率先して集まられた会員皆様のご尽力にあらためて感謝致したく、又苦しみながらも諦めずに成し遂げられたことに皆自ら賛嘆致したことが忘れられません。

頂上奥の院大海祇神社は来年3月18日が例祭日となっており、この日から巳歳御縁年大祭が始まるため、御宮の修復は遅くとも3月までには行わなければならず、ちょうど折を合わせて来山された請負業者の平有建築様4名も補強資材を早速活用し、ひもを張って倒壊しない為の作業をして行かれました。


桟橋のかさ上げ工事は工期が平成25年12月までとなっておりますが、平成25年3月からの巳歳大祭までに可能な限りの整備事業を行おうと、神社内でも会議を重ね、取り組んでおります。

 

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