『金華山大鳥瞰図』展示

●鳥瞰図師吉田初三郎

吉田初三郎は明治17年、京都に生れ、友禅図案画工から洋画家鹿子木孟郎の門下生となり、師の勧めで今でいう商業デザイナーとなったが、大正2年に手がけた鳥瞰図が評判となり、以来、各地の鳥瞰図を次々に制作、その独特の構図と色彩の美しさで一世を風靡し、大正の広重と謳われた。
手がけた作品は日本全国各地から海外にまで及び、作品点数は千数百点に達する。
近年は美術面だけではなく、地史的地理的資料としての評価も高く、各地で作品の展示会が開かれ注目を集めている。昭和30年逝去、享年71歳。

 

●金華山鳥瞰図

大正の広重と称される初三郎の画業も、その独創性が最も発揮され円熟味を増したのは、実は昭和5年から13年の頃であり、その絶頂期にあたる昭和8年に制作されたのがこの「金華山之圖」屏風、六曲一双である。
当時の社務日誌によれば、初三郎は昭和8年に弟子たちとともに数回にわたって金華山を取材に訪ねており、作品は八戸市種差海岸の画房「潮観荘」で制作され、年内に完成、搬入されている。(奇しくもこの昭和8年は昭和の三陸大津波のあった年である。)

この屏風絵「金華山之圖」の他に金華山各地の風景美を描いた「金華山二十五勝景」や当神社三代社司奥海兵作の肖像画などもその折に制作されており、当時の初三郎の精力的な活躍がうかがわれる。

「金華山の圖」は大きさもさることながら初三郎の他の千数百点に及ぶ鳥瞰図作品と違って、図中に地名を描き込んでいないという特徴があり、観光鳥瞰図を超えた芸術作品としての、初三郎の意気込みが感じられる大作である。

 

●拝観

現在は拝観出来ません。
大広間はご祈祷の方の休憩室ですが、一般に広くお茶を飲めるスペースとして活用頂けます。

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