鐘楼


随神門の右側にあり、鐘には「古来の鐘損割の為鋳造」とあり、明治24年 山形市の鈴木治助氏外51名の篤志者が発願主として献備された由が鋳込まれている。
神佛混淆大金寺時代の遺物として、護摩焚きの神事とともに現在に残っている。
明治・大正年間と昭和の初期までは神社所有の渡し舟が在り、対岸山鳥渡しの鐘と当山の鐘を撞き、互いに呼び寄せる合図に用いたと言われている。


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